ひげ太鼓の人生ドドンっと

ありがとうは魔法の言葉

祈り_#2

はいど~も。

ひげ太鼓ですけども。

 

終戦記念日ですね。

前回も書きましたが、わたくしは広島生まれです。

ここ数日、各局が戦争の特番を放送していますね。

わたくしの愛娘も少しの時間でしたが番組を眺めていました。

爆弾やミサイルとは何となく分かっているけど

核とは?ってなっていたのでその落とされた核の脅威を

わたくしの持っている少ない知識で説明してあげました。

愛娘も「はだしのゲン」で一部だけ見たって程度。

あまりにもセンセーショナルで刺激が強すぎたのでしょう。

元々、感受性の強い子ですが・・・

夜中に夢で光景が浮かび寝ながら泣いていたんです・・・

ヒクヒクしていたので愛妻が気付いたようで。

こうしたことによって現代の子供達には刺激が強すぎるから

もう少しマイルドにって・・・そりゃなりがちですよね。

でもわたくしは違うと思います。

いつの時代もこの事実は語り継いでいかなければいけないと思いますよ。

人道としてその脅威は二度と起こしてはいけない。

経験を語ってくださる方たちのお言葉を

あたかも自分が体験したかのように受け止め想像したほうがいいと思います。

それこそ想像が欠如した平和ボケ大国にならないように。

経験を語ってくださる方たちも高齢ですから

お体には気をつけて後世に語り継いでいきましょう。

 

さて今日はもうひとつありましてね。

今日は楽しみにしていた花火大会だったんですよ。

まぁ台風とやらで前もって中止が発表されましたけど。

2018年以来の5年ぶりのはずだったんですが・・・

まぁ仕方ないですね。

2018年以来ということで

わたくしが病気になる年の夏以来なんですね。

それも5年前かぁ・・・

 

さて、だいぶ前置きも長く書いてしまいましたが。

前回終わりに歩くのもキツイそんな状態のやつが

なぜいつもの電車にこだわったのか?ですね。

それは・・・

途中駅で愛妻と待ち合わせをしていたからなんですよ。

いつもの電車の時間に乗るから乗り込んでおいでって約束していたんです。

さらに愛娘と祖母が別の場所で夕飯のためにわたくしたちのことを

待機していたので急いだのです。

その約束がわたくしをまだ正気にさせていたんでしょうね。

 

それでも何回も異変だな異常だなと弱気になる瞬間はありましたよ。

 

会社を出てからまともに歩けていないこと。

階段をまともにスムーズに降りられないこと。

そしてさらに途中駅で合流した愛妻とシートに座り

降りる駅に到着して、すくっと立ち上がれなかったんです。

幸い端に座っていたので手すりを使って立ち上がりました。

そのあとの階段の昇降もまともではなかったですね。

全部手すりを使いました。

その後、待ち合わせに向かうため近所の広い道路があって

赤から青になりたてでスタート切ったはずなのに

完全に再び信号が変わるギリギリで渡り切ったんですよね。

 

もう完全に身体おかしいな?って

転んだ時に神経系痛めたのかな?って思いながらも

我慢すればまだ身体は動くし

ただのめちゃくちゃひどい筋肉痛だって思い込ませて

それが原動力となっていたんでしょう。

 

だから

ただただヘラヘラ笑っていました。

 

だけど不思議とこの日の夕飯後の帰路でした。

特別用事もないくせに、わたくしの実家に立ち寄ったんですね。

何を意味した行動かはわかりませんが

この世の中こうしたことってあるんですよね。

本当に不思議ですね。

 

長くなってしまったので翌朝の話は

また次回にしましょう。

 

ではでは

 

 

ひげ太鼓